ユーザー様がゲームを再開したのは、それから約丸一日経ってからの事だった。どうやら、このユーザー様はやる時間帯が決まっているようだ。
ゲームは勿論、この前の続きからだ。今はセーブデータは一つしか使っていないから、どこから始まるのか、それを推測するのはとても楽だ。これがいくつも使われるとどのデータから始めるのか分からなくなるので厄介だ。
舞台は病院。泰紀の下に真澄がやってくる所から始まる。話は彩が来てから一日経った日、つまり我々の体感している時間と同じだけの時間が、ゲームの中でも流れたというわけだ。そして、ここで最初の関門がやってくる。
「……泰紀君、いる?」
普段と変わらぬ感じで、真澄が病室に入ってくる。片腕を無くした泰紀は、相変わらずの疲れた顔で真澄を見る。
「真澄先生……」
真澄は少しくたびれた様子で、ベッドの横の椅子に腰掛ける。
「聞いたわよ……。本当に不運だったわね」
「……」
この不運は、そんな言葉だけでは語れない。でも、それ以外に彼女は言葉が見つからない。そんな複雑な表情を、真澄は見事に演じていた。
「みんなは元気してますか? 丈一とか」
「ええっ、とても心配してたわ。きっと近い内にお見舞いに来ると思うわ」
「そうですかね……」
「当たり前じゃない。友達なんだし」
「でも、昔の僕とは少し違いますから」
丈一はゲームの中ではバンドを組んでいる設定になっている。目指す頂上は違えど、通る道は近い。だから、丈一は来づらいわけだ。もっとも、その事情をまだユーザー様は知らないのだが。
「やっぱり、諦めるしかないですよね、ピアニストになるって夢は……」
「……」
「先生の口から言ってくださいよ。諦めた方がいいって。その方が、綺麗さっぱりと諦めがつきますから」
「……」
「長い付き合いじゃないですか……」
泰紀の独り舞台だ。だが、泰紀は一字一句間違える事無く、そして顔の演技なども文句のつけようが無かった。ここまでは何の問題も無い。問題はここからだ。
真澄は無理に笑顔を作る。
「そんなに簡単に諦めちゃダメよ。まだもう片方の手が残ってるわ」
「……」
その瞬間、全てが凍り付いた。真澄も泰紀もピクリとも動かない。これは、選択肢が出た為ではない。緊張で動けないのだ。
カメラマン伊藤が手を上げ、カメラの映像が一時停止になっている事を伝えている。そう。今ユーザー様の見ている画面には二つの選択肢が出ているのだ。その間、こちらの世界の映像は静止画として向こうに届いている。
カメラの前にその選択肢がポワンと浮かぶ。そこを一つの矢印が行ったり来たりしている。今、ユーザー様が選んでいるのだ。その光景をくいるように見つめる私と、他のキャラ達。重くたちこめる静寂。
真澄のあの言葉に対して、ユーザー様がどんな答えを出すのか。それによって、今後のストーリーが変わってくる。
選択の一つは「そうですね」とぼやくパターン。この選択肢は、真澄を狙う際に必ず必要な選択肢だ。そしてもう一つが「左手だけで何が出来るんですか!」と叫ぶパターン。こちらを偉ぶと真澄を攻略出来なくなるが、他のキャラクターを狙う場合はこちらにしなくてはいけない。
矢印の動くピコンピコンという音だけが響く。そして、その矢印が一つの答えに至った。それを見た泰紀が口を開ける。そして、伊藤が手を下ろし、再びカメラが回りだす。
「左手だけで何が出来るんですか!」
泰紀はそう叫んだ。それを聞いて、真澄はビクンと体を震わせた。
「ごっ、ごめんなさい。そんなつもりで言ったわけじゃ……」
「真澄先生はいいですよね、五体満足で。でも、僕は違います。こんな体じゃ、昔の僕には戻れない。……もう僕なんかに興味無いでしょう?」
「そんな……それとこれとは別問題よ。あなたに手があろうとなかろうと、私があなたを愛している事に変わりは無いわ」
半泣きになりながらも、真澄は食い下がる。しかし、泰紀の悪鬼のような形相に変わりは無い。
「生まれて初めて一緒のベッドに入った時の事、覚えてますか?」
「……えっ?」
「先生、こう言ったんですよ。あなたの才能も体も何もかも愛してる。だから、先生と教え子という関係を断ち切れた、と。体が欠けて、才能も開花出来なくなった僕に、まだ愛があるんですか?」
「……」
「……くっそぉ!」
泰紀は布団を掴み、そして、嗚咽を漏らす。それを、真澄はただ黙って見つめ、それから部屋から出ていった。とり残された泰紀はしばらく嗚咽を漏らしていた。
舞台が変わる為、キャラ達と私、そしてカメラマン伊藤は病室から出て、次の舞台となるのは待合室にダッシュする。今はナウローディングの時間だ。とは言っても、あまり自由な時間は無い。
「これで私の出番はほとんど無くなっちゃった。ラッキー」
「いいなぁ、真澄さん」
嬉しそうな真澄と、気重そうな丈一。その前を走る美優。次は美優の番だ。
「これから出番って時に、気楽に言わないでください」
「いいじゃない、別に」
「……」
お気楽に言う真澄を、美優は無視した。
受け付けにたくさんの長椅子と観葉植物。そんな待合室にはたくさんの人がいる。一言で言えば、エキストラの人達だ。決められた台詞も無く、バックに臨場感を出す為にいる人達。私達が来ると彼らは拍手をして向かえてくれる。私達同様、彼らもゲームに出る事が出来て嬉しいのだ。
泰紀は待合室の長椅子に腰掛ける。近くの自動販売機の近くに美優がスタンバイする。
「美優ちゃん。準備いい?」
「はい。それから、ちゃん付けするの、やめてくれません?」
「そう? 俺から見れば、年下なんだけどな」
「そうプログラムされているだけです。頭だけなら、泰紀さんより大人です」
「子供の俺にさん付けするんだ?」
「……」
ムスッとする美優。ケラケラと笑う泰紀。会話の内容はともかく、雰囲気は悪くない。
「これから始まるぞ。演技モードに入れ、二人共」
その言葉で二人の顔つきがガラリと変わる。泰紀はパンパンと自分の頬を叩き、つい数秒前までのほんわかとした表情を殺し、沈痛な面持ちになる。美優も首を激しく振り、さっきまでの表情を消した。
カメラマン伊藤が人差し指を上げる。
「あと五秒で始まるっす。三……二……」
カメラが動きだし、再びゲームが始まる。
エキストラ達が騒ぎ始める。見舞いに来た人達、これから診察を受ける人々。老若男女、様々だ。そんな雑踏の中、泰紀は暗い表情で長椅子に一人で腰掛けている。周りなど見ていない。
泰紀の隣にピンクのパジャマにカーディガンを羽織った少女が腰掛けた。手に熱いココアを持った美優だ。
「ふぅ…ふぅ…ふぅ」
美優はココアに息を吹きかけ、一口飲んでみる。その瞬間、美優は猫のように叫びココアを投げ出した。そのココアが、泰紀の足にかかった。
「あっち!」
「あっ! すいません! 大丈夫ですか?」
美優は慌ててポケットからハンカチを取り出し、泰紀の足を拭く。泰紀はその様子を苦々しい顔で見つめている。
「本当にすいません……。あまりにも熱くって」
「いいよ、そんなに謝らなくて」
ヘコヘコと謝る美優に、泰紀は冷たくそう言った。
ココアを拭き終えると、少女はもう一度、泰紀に向かって深いお辞儀をした。しかし、その目は自然と無くなった右腕に行ってしまう。
「……やっぱり、おかしいよな、この腕」
「えっ? ……いえ、そんな事無いですよ」
「ははっ……いいよ、無理しなくて」
自虐的に笑う泰紀。それをじっと見つめる美優。そして、美優は思い立ったように口を開ける。
「ひょっとして……杉矢さん……ですか?」
「えっ? ……何で、俺の名前を?」
「霧島彩さんという方、知ってます?」
「ああっ」
「その人、私の先輩なんです」
「先輩……。学校か何か?」
「はい。私、相田美優って言います。私、体が弱くって、よく入院するんです。それで、よく先輩がお見舞いに来てくれるんです。昨日も入院してたんですけど、昨日は何だか凄く表情が暗かったんで、話を聞いてみたら、ご両親が事故を起こしてしまったと……」
「……」
泰紀の表情に変わりはない。美優は重い顔をしている。
長文も一字一句間違えずにスラスラと言ってのけた美優。流石にいつも余裕をかましてるだけの事はある。
「彼女、何て言ってた?」
「なかなか許してもらえないって……。そう言って泣いてました」
「……そうか」
言葉の無くなる二人。ここまで、まったく問題ない。泰紀は普段はお気楽な性格だが、記憶力と演技はさすが主人公と言うだけあって完璧だ。美優の方も普段のクールさなど微塵も出さず、子供らしさ全開で演技に撤している。正直、この二人ならば安心して見られる。
が、ここからまた悩みの種が現れる。
「よぉ、泰紀。ここにいたのか」
そこに現れたのが丈一だ。泰紀は顔を上げて丈一を見上げ、驚いた顔になる。
「……丈一。見舞いに来てくれたのか」
「ああっ。その……何だ……ひどい事故に巻き込まれたって聞いてな。……本当に不運だったな」
いつもオドオドしてるわりに、演技はしっかりしている。何だかんだ言って、丈一もちゃんとやってくれている。私は音を立てず、ホッと安堵のため息をついた。
「もう、歩いても大丈夫なのか?」
「さあ……」
「さあって……。ダメならここにいちゃいけないだろう?」
「命が助かっても、腕が無いんじゃ意味が無いからな。別にどうでもいいよ」
「……そんな言い方するなよ」
「お前はいいよな、五体満足で。ギターの腕、少しは上達したか? 退院したらライブ、観に行ってやるぜ。そうそう、俺、真澄先生フったから。丈一、先生好きだっだろ? 今だったら問題無いぜ」
「……」
「……」
「……ひねくれ過ぎだぞ、お前」
「ひねくれたくもなるさ」
また訪れる静寂。丈一は気まずそうに頭を掻き、話のネタを探そうと辺りを見回し、美優を見つける。
「ええと……こちらのお嬢ちゃんは?」
「あっ、私、相田美優って言います。ええと……杉矢さんとは……その」
「友達だよ。……入院仲間さ」
「えっ……」
泰紀の言葉に、美優は思わず素っ頓狂な声を出してしまう。泰紀は美優の方は見なかった。丈一には、その意味が分かっていないようで、小首を傾げた。
「ほお。可愛いお仲間だな。今度からはこの子にするのか?」
「……真澄先生よりはマシだな」
冗談に対して真面目に答える泰紀に、丈一は真剣な顔になる。
「おい……いい加減にしろよ。真澄先生だって、凄く悲しんでたんだぞ」
「それはこっちもだ。いや、俺の方が悲しんだな」
「……少しは頭冷やせよな、お前」
「……」
丈一はそれだけ言うと、スタスタと病院の出口へと向かって歩いて行ってしまった。
「……あの人、お友達ですか?」
残された美優は、泰紀に恐る恐る声をかける。
「ああっ、大学の友人でね。あいつはバンドのギタリストをやってるんだ。将来はプロで活躍したいんだと。……あいつは両手あるからまだ何とかなるかもしれないけど、俺はもう無理だな」
「杉矢さんも、ミュージシャンになりたいんですか?」
「なりたかったんだ、ピアニストにね。……もう無理だけどな」
「……」
「……真澄先生の事も聞きたい?」
「えっ? ……あっ、はい。聞きたいです」
美優はとてもではないが聞きたいような顔はしていない。しかし、泰紀はそんな美優を無視して話しだす。
「俺の恋人だった人。俺にピアノを教えてくれてたんだ。高校の時に知り合ってね。ついこの間までは恋人だった。でも……今はもう関係無いけどね」
「……」
その台詞でプツリと会話は途切れてしまった。
その後、伊藤が手を上げた。
「いい所で止めたね、ユーザー様」
飲んでも意味は無いのに、泰紀はココアを飲みながら呟く。その隣で美優と丈一もココアを飲んでいる。余裕の美優も、やっぱり緊張していたようだ。
あの後、ユーザー様は再びセーブをしてゲームをやめてしまった。どうやら、このユーザー様は一日一時間かそこらしかゲームが出来ないようだ。嬉しいやら、悲しいやらだ。
「これでみんな一度は出演した事になったな。みんな、私の予想に反して大健闘してくれた。大万歳だ」
「本番なんですから、当然です」
美優が落ち着いた様子で言う。ゲームと現実のギャップが最も激しい美優だけに、見ていて面白い。
「この日の為に、俺達は生きてるんですから。真剣と言うより、必死なんですよ」
私の頭をボンボンと叩く泰紀。軽く言っているが、彼の言っている事は我々にとって最も大事な事だ。
「そっ。間違いなんかしないわよ。ねーっ、泰紀君」
「真澄さん、もう別れたじゃないですか、僕達。なのに、まだそんな態度するんですか?」
「ゲームとプライベートは別よ」
「……そうですか?」
イチャイチャする泰紀と真澄に、彩はまた嫌な目をする。
「何で真澄さんも美優も現実の方が嫌な性格なのかしら……」
「それって、彩さんもだよね」
「んだとおぉぉ!」
緊張の糸が切れた丈一の一言に、彩はブチ切れ、泰紀の首に手を回す。
「ぐぐぐぐぐぐっ!」
「あんただって、現実は気弱君じゃないのよぉ!」
「ががぎばじだがだばだじで!(分かりましたから放して!)」
何やら壮絶な絵柄だが、お話は順調に進んでいるから別にどうでもいい。
「みんな随分リラックスしてますねぇ。まだ話は始まったばかりなのにぃ。ユーザー様が誰を狙ってるかもまだ分からないって言うのにぃ」
法子は相変わらず弱腰だ。しかし、法子の言う事ももっともだ。
「まっ、私は多分無いわね。あの選択肢選んだんだから」
真澄が気楽に言う。それを見て、丈一を解放した彩の目が光る。
「最初は私に決まってるじゃない! 何てたって、主役よ、ヒロイン。最初に私をやらずして、誰をやるって言うの?」
「ユーザー様がお子様好きだったら、私を狙う可能性もあります」
彩の言葉を、美優がサラリと返す。彩が歯を剥き出しにする。
「あんたみたいなキャラは大抵二番目なのよ」
「……猫好きだったら、やっぱり私です」
そう言うと、美優の頭からピョコンと猫の耳が飛び出す。美優のキャラは子供っぽい。
その為なのか、興奮すると猫耳が飛び出すというシーンがある。美優はその猫耳を自由自在に出し入れ出来るのだ。
美優の目がキラリと光る。
「どうですか?」
「どうですかって言われてもねぇ……。でもまあ、俺はその耳好きだな」
泰紀は言葉を濁し、美優の猫耳を弄くる。美優はくすぐったそうに身をよじらす。
「オタク君向けじゃない、あんたなんて」
「こういうゲームやる人って、大抵そうですよ」
「……」
「……人種差別みたいですよぉ、お二人さん」
法子がぼんやりと上を見上げる。勿論、そこにユーザー様の姿など無い。
「法子さん。上見たっていないわよ、ユーザー様」
まだ気分が悪いのか、彩はぶっきらぼうに言う。
「オタクな方でも、いい人だといいですね」
丈一も上を見上げる。そんな丈一の肩を真澄が叩く。
「そんな事は関係無いんじゃないの? 私はやってくれるだけで満足なんだから」
「……そういうもんですかね」
「そういうもんよ」
「……」
真澄の言う事ももっともだ。実際問題、ユーザー様がどんな人であろうと、我々には関係無い。我々はユーザー様の顔を見る事もなければ、ユーザー様のいる世界に行く事も出来ない。
我々はただ、ゲームが始まったら、精一杯ゲームを面白くする為に頑張るだけなのだ。
「誰だっていいじゃないか、そんな事。やってくれるだけで、俺達はただありがたいのさ」
流石は本ゲームの主人公の泰紀。言う事に貫禄がある。……気がする。
「そうそう。学生だろうが、社会人だろうが、フリーターだろうが、私達に興味を持ってくれた。それだけで、感謝感謝」
彩も泰紀に同調する。この二人はいつもはお気楽と怒ってばかりだが、何だかかんだ言って、このゲームの主役なだけはある。
いや、誰であろうとこの思いに変わりはない。ただ楽しんでもらう為だけに、精一杯頑張る。それ以外に、我々の思いは無いのだ。
私は泰紀の頭の上に私は飛び乗る。
「今の所、可能性として低いのは真澄だけだ。彩、美優、法子、誰に行き着くかはまだ分からない。さっきの話で気合いが入っただろうから、ここからも頑張るように」
「次はいつになるんですかねぇ?」
彩が首をポキポキと鳴らす。
「私に聞くな。しかし、このユーザー様はゲームをプレイする時間というものが決まっているようだ。おそらく、また丸一日経ってからだとは思う」
「一日か。長いのか短いのか……」
「短いものと思え。ひょっとしたら、すぐに始まるかもしれない。もしかしたら、また最初からプレイするかもしれない。気は抜くなよ」
「分かってますって。本当にマスターは心配性なんだから」
彩は私を抱き上げ、ツンツンとつつく。私はそんな彩を見上げる。
「お前らのせいだろうが……」